
人生は時間と共にある。
三大欲求を考えてみても、欠乏と充足の波型の線を描いている。
生きている以上、波がいくつも重なる。
幸せとは和音と例えられるし、不幸は不協和音と例えるとわかりやすいかもしれない。
波は何故できるのか、と考えると。
例えば白い丸と黒い丸が同じ大きさであったとしたら無論、直径は同じ。
しかし、視覚には錯覚がある。
白は光を反射する為、僅かながら大きく見える錯覚。
暖色と寒色は膨張色と減退色。
これも錯覚。
しかし知覚としては確かな事。
実際のところ等価ではあっても、その錯視によって差が生まれる。
天秤は傾かないけど、見え方が違う。
この『錯覚の不均衡』が波を作る。
つまり生命は波であってプラスもマイナスもあるけど。
自然の法則なので肯定できる。
フィボナッチ数列と同じで。
理由があるのだ。
だから私は幸も不幸も勿論あるけど、ひっくるめて生きる事は肯定できると思う。
これは良い悪いを超えて生きる意味として存在してくれる事で。
人間を信じる事や安心感になってくれたらいいなぁと思う。
これがblank and existenceの大意。
あと、もうひとつ。
『ゲーム理論』という研究があって。
スポーツやゲームなどで『オフェンスとディフェンスでどっちか勝率が高いか』
みたいな研究があったのですが…
不思議な事に最初にディフェンスをした方が勝率が高い。
人は最初に攻撃とかを仕掛けない方が最終的には良い結果になる。
人間関係に於いても当てはまる気がしてる。
友好的であるのがベストではあるけど…
優しく人に接したりする事は自分の為にもなると思う。
生きるコツがあるとすれば、ひとつ考慮すべきかも知れない。
そんな事を最近考えています。