アートはそう簡単に死なない。



HARANOのステイトメントのBlank and Existenceは大雑把に言ってしまえば二元論です。

しかし誤解されたくないのは善悪二元論などの単純なジャッジを安易に推奨するものではないという事です。

むしろ完全に否定するものです。

例えば犯罪者は100パーセント悪いと言い切れるでしょうか?

犯罪を犯すという事はルール違反です。

社会の秩序を乱す意味で間違いない悪です。

しかし、犯罪を犯してしまう家庭環境で育ったり、社会的な差別が人格形成に大きく影響する事は周知の事だと考えます。

そのため情状酌量という考え方もある。

『社会的な俯瞰で見る悪』と『犯罪を犯すに至った犯罪者の視点の悪』。

やはり二元論とはそういう意味で行ったり来たりの視点の両面性にこそ活かすべきではないでしょうか。

最近、とあるミュージシャンから二元論はアート性という『ミディアムな部分』を無価値にしてしまうのではないかと言う主旨の批判を受けました。

その気持ちは良くわかる気がします。

アートとは未知が重要であるからです。

実際、私が提唱している『二元論における有と無の性質』という視点を利用すると比較的にスームーズに解を出せてしまう様に思います。

しかしアーティストはそこに屈していいのでしょうか?

アートはそれを乗り越えた所にあると私は感じます。

というより本当の意味での感動や価値とは無数の二極が絶妙に重なり合って『一瞬』絶妙な色になる。

という所にあると思います。

実際、そのアーティストには感動させられる事や気づかされる事も多々あります。

先日のサスティーンの記事。

『カラーは混色するし音は織りなす』

と書きました。

補足が必要かと思います。

カラーには光のRGBと固有色のCMYKがある。

RGBはRED、GREEN、BLUEの三色でテレビやパソコンの画面表示に利用されている。

光の性質で重なれば重なる程、無色(白色)になる。

CMYKは印刷の色表現で混ざるほど黒くなる。

全く逆な訳です。

これらのどちらかに優劣をつけられるでしょうか?

実態の無いものと実態の有るものが背中合わせになっている。

自分が説明しなくても世界とは初めからそういうもの。

『色は混色で濁る事もあれば透明になる事もある』

意識しようが意識しまいがそういうものなのです。

アーティストは苦しいと思う。

自分も苦しい。

本質的に物を捉えるという側面が大きいから。

でも『絶妙な瞬間』は全てに勝る『快』。

言葉が言葉でなくなると感じる時。

絵が完成して、ただの物質にしては随分気持ちいいと思える時。

宇宙はどこまでいっても未来がある。

宇宙誕生のビッグバンから宇宙の膨張率と経過時間を計算すると、確率的に地球と酷似した星は無数にある計算になるそうです。

また人類の様な文明を持つ事が確率的に間違いなくあるであろうと言われています。

もっと言えば宇宙スケールの時間から考えると、その文明は3段階に分けられる。

地球はまだ1段階目のちょっと前位であろうと言われているそうです。

ちょっと人が賢くなった所で『アート』は終わる様なものではない。

そんな気がしませんか?

#現代社会 #NAINO #作品制作

Blank and Existence