本当の神様。



死後の世界に天国や地獄はあるのでしょうか。

自分はないと思います。

生きる事は限りある線、死ぬことは無限の点。

有限と無限。

実存と概念。

面白い言葉を考えました。

人生は「天獄」なのではないかと。

同じ景色を観ても素晴らしく見える時もあれば最悪に見える時もある。

誰でも地獄は見たくない。

地獄を望んでもいない。

光りある方に向かいたいのではないでしょか。

光への道順はその人それぞれ色々な道があるでしょう。

このことが最近よく聞く多様性という事でしょう。

それが独善的になってはいけない。

最近世界で起こっているテロ。

自分達の思想を独善的に広める事に暴力を行使する。

これはあってはいけない事だと大多数の人が思っている事ではないでしょうか。

ここで出てくる問題。

多様性が大事とは言えど認める事の出来ない事もあるという事。

ある哲学者が宗教に対してこんなことを言ったそうです。

「自分の信じる宗教の違いだけで人を殺す事があってはならない。」

当たり前の事です。

日本人には掴みづらい感覚かもしれません。

日本は多元宗教社会ともいえる宗教においても離れ小島、ガラパゴスなのです。

でもそれが当たり前ではないのが今までの世界における宗教の道のりでした。

テロを起こす様な集団にとっても光へ向かうという事は変わらないかもしれない。

しかし容認はできない。

この境界線はどこに引くべきなのか。

はっきりとは境界線が引けないグラデーションではあると思いますが、、、

ここで大体の目安になる中心軸。

それが歴史に磨かれた基準、「法律」なのではないでしょうか。

同意と反論の中で流動的に今も時代に合わせて更新され続けている。

人間の身体性に寄り添ったルールだと思います。

法律は人間が綴る本当の聖書ではないでしょうか。

その筆者は紛れもなく私達人間。

つまりは私達は誰しも神の一部なのではないでしょうか。

神は流動性を持った善意の結晶。

これが私の考える神です。

私のステイトメントのメインテーマは二元論であり、その根底の「概念と実存」簡単に言えば「無と有」ということが万事に当てはまり論理的解決を図る時の【よりどころ】にはならないかという事です。

文明を持った人間には法律に関さずとも罪と罰という心の在り方は問題です。

人間だけが自殺をするという自然界の異例を説明するにも、文明という人類の発明の弊害とすると説明がつきます。

有罪から無罪へ。

苦しみが有だとしたら無への憧れや祈り。

そうやって神という良くも悪くも余白を持った受け皿を創造したのでしょう。

色んな考えの人がいる。

だから円形のグラデーションを持った多様性の中心点ができる。

その一番外周に挑戦するのがアートの役目なのかもしれません。

#現代社会 #作品制作

Blank and Existence