流行り病とアート




10年位前の作品が出てきて


思うところがあった。


今日は少し美術に関しての実直な感覚を書いてみたいと思う


フェルケール博物館の展示などで少しばかり注目して頂いてる時期というのもありますので…


少し説明的になりますがご容赦頂きたく思います。




画像はステイトメントに挙げているblank and existence -空白と存在-の原型みたいな思考を手掛かりに証明を始めた初期の作品


言わずもがな鏡を扱った構図


虚像と実像


まさにblank and existenceは『鏡』という概念が適切かつ象徴的だと考えます。




先日フェルケールに撮影にいった時、幸運にもじっくりと拝見してくださっていた方がいて、声を掛けさせて頂きました。


博識な方で二極性の認識とミディアムの重要性についてもすんなりとお話しができた。


その方には写実は冷たい感じがしたようで、色彩のブレや絵具の流動性など『バルール』などを活かし含みを出した方がアートのミディアムな価値なのではという率直な意見も下さった。


ミディアムで冒険したら?という提案であったと思う。


確かに印象派はエモいしチルな感覚が幻惑的であったり魅力です。


本日、TVでゴッホ特集をみたのですが、すごくいいなぁと自分も思います。




私の写実絵画は技術で圧倒する芸風と思われるかも知れませんが…


撮影しそれをキャンバスに雑念なくエフェクトなしで描き写しているに過ぎません。


言うなれば写経的なスタンスです。




1800年代後半のカメラ、写真の登場はリアリズム全盛だった美術の転機になりました。


画家達は視覚情報を強調したり省いたり写真に対する優位性や独自性を模索する当てのない、答えのない沼に入り時に芸術は爆発だの感性の発露などと今ひとつフワリとした刹那な感覚をたよりに痩せ我慢的な美術の分解の波に飲まれてゆく。


よくわからない事やハッタリやミディアム


アート性という謎の高尚さや神秘性


しかし長い目でみるとたった150年の流行り病の様なものかも知れないと考えたりします。


そしてアートは現況、そろそろ優位性を保てなくなるかも知れないと感じます。




自分の絵はアートじゃ無いかも知れない


写経の様に思う


行為、それに僅かな手作業の痕跡や隠せない物理的な筆跡から何かが漏れ出たら


それを自分はアートと呼びたい


『ストイック、アウトロー、パンク』




宗教は自滅してゆくと感じる。


聖職者の性犯罪、僧侶の煽り運転暴行


宗教は人間の不確実性の誤算に身を滅ぼしてゆく最中だと感じる。


そして罪のない形の哲学概念が引き継ぐと思う。

その哲学も抽象的な意味あいではなく。


量子力学の2重スリット実験で確認されている量子の動きの波動性と線動性、または確率波など


確かな課題としてのミディアム


日本政府も次世代を担う量子コンピューターに投資を始めた。


アートや宗教は寿命かも知れない。


それらが守ってきた聖域は暴かれネクストステージに移行していく。


ミディアムな部分は哲学や数学や量子力学にバトンをわたす時代なのかなと感じながら


『写実絵画を写経的に描きたい』


というのが


自分の大方のスタンスです。



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#空白と存在








Blank and Existence